「いじめた人は一瞬で忘れるが僕は一生恨んでいる」(ジャングルポケット 斉藤慎二さん)
ジャングルポケットの斉藤さんがご自身のいじめられた体験をお話しされています。
読むと胸が悪くなります。
顔が歪みます。
本当は読みたくない。
でも斉藤さんはあまりにもシビアな話に“芸人生命”が絶たれるかもしれない。
それでも伝えたいという捨て身の思いで発言されている。
目を背けてはいけないと思いました。
いじめ主犯のAは、斉藤さんに電話してきたそうです。
「テレビでいじめのこと話してたけど、いじめている側に俺って入っている?」
「家族ができたから、名前を出さないでほしい」
謝罪もないとのことです。
悪い大人に育ってしまいました。
当時、斉藤さんは、担任教師にいじめについて相談したそうです。
しかしその教師がとった行動は、わざとかと思うような行動でいじめを悪化させた。
教師は、「いじめはダメだ」と子どもたちにきちんと伝えなかった
だからこのAは、自分本位の悪い大人に育ってしまった
多分
- いじめていた人 だけでなく
- いじめを見ていた人も
- 笑っていた人も
- 怖くて黙ってしまった人も
きっとみんな悪い大人に育ってしまっているでしょう。
大人がいじめを見過ごすとはそういうこと。
”いじめが悪いと思わない”
または
”自分がやられないように黙っている”
”人がやっているなら自分もやらないと損”
悪い大人が蔓延っている社会は存続することに意味があるのでしょうか?
教師や大人は子どもたちのいじめに向き合った時に、怖いと思うかもしれません。
- もしかしたらいじめを止めることができないかもしれない。
- 子どもたちに反抗されるかもしれない。
- めんどくさい
- 帰るのが遅くなる
- 子どもから馬鹿にされるかもしれない
- 力量がないと管理職に評価されるかもしれない
- 同僚から見下されるかもしれない
- 保護者から苦情を受けるかもしれない
確かに悪い大人がたくさんいる今、学校でも正しいことが通らないことがあります。
心ある先生たちは、身も心もへとへとであることもわかります。
もしかしたらうまく解決できないかもしれない。
それでもいじめは間違っているということだけは、子どもたちに示さないと、このまま社会に悪に満ち溢れる。
そんな社会で子どもに何か教えることに意味があるのでしょうか?
教師や大人は、本気で考えましょう。
とにかくいじめは間違っていることだけでも子どもに示しましょう。
それから考えましょう。
みんなで考えましょう。
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