夏休み明けにうちの子どもは学校に行くのだろうか?

お盆が終わりましたね。

夏休みも後半と言いたいところですが、最近は夏休みが短縮の方向になっているので、残りはもう少しなのかもしれません。

誰が決めたかわかりませんが、よけいなことを!!という感じです。

 

 

さて私には、現在、大学生の息子が2人います。

2人とも不登校だった時期もあります。

また基本、学校に合わない子どもたちだったので、夏休みの終わりは、毎年いろいろ心配事が尽きませんでした。

 

例えば

  1. 昼夜逆転は治るのか?
  2. 始業式はどうするのだろうか?
  3. 2学期は学校に行くのだろうか?
  4. 宿題やるのだろうか?
  5. 先生からそろそろ電話があるかもしれない。
  6. 上靴を買い替えたほうがいいのか?
  7. 通知表は、はんこ押さないといけない。どこにある?
  8. 毎日、朝起こすの嫌だなあ。

という感じ。

 

そんな時私は、「仕分け」していました。

心に浮かぶ心配事を、バッサリと仕分けをして減らしていたのです。

 

 

ポイントは

  1. 自分の心配ごと
  2. 自分がコントロールできる心配ごと

これ以外は、切り捨てしまうのです。

 

 

この中で私自身のの心配事は5.6.7.8です。

1.2.3.4は、子どもの心配ごとですので、切り捨てます。

 

 

そして8は、私がコントロールすることができないものに入ります。

子どもの父親は、朝早い日が多くて、子どもを起こすのは私しかありませんでしたので。

コントロールできないものは、いくら考えても答えは見つからない。

 

 

つまり仕分けによって残ったものは、

先生からそろそろ電話があるかもしれない、いやだなあ。何を話そうか。
6上靴を買い替えたほうがいいのか?上靴を確認しよう。
7通知表は、はんこ押さないといけない。どこにある?思いつくところを探そう。

 

 

でした。

 

 

これについては、存分に心配する。

そして何かしらの対策を早めにとるほうが私には、よかったです。

 

 

さて子どもの心配ごとは、本当に切り捨てていいのか。

「親としては切り捨てるなんてできない。」

「特にうちの子は学校に行きにくいのに」

と思われるかもしれません。

 

 

でもお子さんと親御さんは、別の人格です。

お子さんの心配ごとは、お子さんのものです。

そこはバッサリと仕分けをしたほうがいいです。

 

 

 

仕分けをした上で、あくまでもお子さんの問題として、心配し、何かしらお手伝いするのは、ある程度は仕方ない。

しかしあくまでも子どもの問題だということを忘れてはいけません。

 

 

 

と言いながら当時、私は、夏休みのこの時期、宿題を片付ける日(私にとっては手伝う日)を作っていました。

自分の心配事と子どもの心配事。

バッサリと仕分けるのは本当は難しいことです。

 

 

しかし子どもと親の人格をはっきりと分けることができるようになることは、親子の良好な関係のためには、とても重要なことなのです。

特に子どもさんの不登校をご自身のせいだと感じられている親御さんにとっては、気持ちが楽になる面もあります。

意識だけでも変わると思いますので、試してみてください。


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